Saturday 10 February 2018

[日本語訳] MIYAVI 音楽、父性、そして世界最大の難民キャンプからの光景 Interview with Angelina Jolie × UNHCR 2018


Original ENGLISH Interview source & credits: medium.com@UNHCR 
Translated by comyvz:  @takeshiorin3 & @MyCov7382

音楽、父性、そして世界最大の難民キャンプからの光景
ロヒンギャのキャンプ訪問後に行われたUNHCR特使Angelina JolieとMIYAVIの対談  

 〈注・MIYAVIはバングラデシュ、コックス・バザールのクタパロンにて、ミャンマーから逃れたロヒンギャ難民を訪れるPhoto: © UNHCR/Caroline Gluck〉

MIYAVIがコックスバザールに到着する5日前、8歳のNurulとその家族はクタパロンキャンプに到着した。彼らは、キャンプと呼ばれる臨時居住地に仮住まいしている現在688000人の難民と合流した。
UNHCR親善大使のMIYAVIはバングラデシュでNurulとその他何百人ものロヒンギャ難民と会った。
彼らは、絶望と希望、安全に帰宅したいという想いをMIYAVIに語った。
私たちの特使Angelina Jolieは、何十年もの間故郷からの避難を強いられている人々をとても強く擁護している。
彼女の友人であるMIYAVIがバングラデシュに訪れていると聞き、地球上最大の難民キャンプを構成する人々への彼の視点を求めた。
数年前、Angelinaは2016年にリリースしたMIYAVIの「The Others」のミュージックビデオを監督、制作した。この作品はUNHCRとの初の現場での彼の印象と世界中からの難民をフィーチャーしている。

こちらが対談の全てです:

Angelina:難民キャンプに行くといつも思うのは、話をしたり、彼らの必要なものを工面する手伝いをすること以上に、もっと何かしてあげられたらいいのに、ということ。わたしはあなたが音楽を共有することができた時の、彼らの反応を見てきました。それが大切な理由は、音楽が喜びを広げ、気分を高めてくれるからだけでなく、本当に多くのミュージシャンがこの集団の中にいるから。彼らは自分たちが愛するものを奪われ、ただ生き延びることにのみ力を注いでいます。私が信じているのは、あなたはきっと創作的表現を生き延びるための道具にしているということ。それは生活において不可欠な部分ですから。今回の訪問で、音楽を共有して経験できたことは何でしたか?

MIYAVI:まず、あなたに感化されたあとに初めてレバノンの難民キャンプを訪れたとき、僕は怖かった。なんの知識も経験もなく、その時はあなたのような決意さえ持っていなかった。でも、僕がギターを弾いた瞬間、子供たちの目がキラキラ輝いたんです。子供たちは夢中になり、彼らのエネルギーに僕は驚かされました。「難民」という言葉で思いつく、暗い、絶望的、重荷、常に見下されている人々---そのようなイメージは完全に消え去りました。彼らは生きている。特に子供たち、彼らの目は生きています。彼らは僕らよりいっそう明るく強い。なので私は自分の音楽でできることがあるかもしれないと気づきました。
何度も言うけど、僕は銃を持った人々が向かい合っている戦場で、人々を守ることはできない。でも僕は、音楽を通して人々の考え方を変えることができるかもしれない。音楽はすぐに世界を変えることはできないけど、人々を感化して変えられたら、世界を変えることができるかもしれない。それが今、ミュージシャンとしての僕の使命の一つです。

〈注・“The Others” — 音楽:MIYAVI、演出・監督:Angelina Jolie (UNHCR特使)〉

Angelina:私はあなたのお嬢さんたちをよく知っています。あなたは少女たちを自分たちの娘のように見ていたんじゃないかしら。どんな人たちに会いましたか? あなたも父親として、このキャンプで、子供たちが今必要としているものを与えられられずにいる、多くの父親たちに感情移入してしまうのは、たやすかったのではないかしら?

MIYAVI:多くの無実の子供たちが十分な教育を受けていません。緊急時、彼らが最も必要なものは、食糧、水、健康ですが、そのあと、教育は最も重要なことの一つであり、ほとんどの親たちがそのことを懸念していると僕は信じています。
レバノンのキャンプでギターを弾いたとき、僕は左手でコードをおさえながら子供たちに自由にギターを弾かせました。子供たちが並んでいる間、数人が喧嘩を始めました。殴り合いです。それは僕にはかなり深刻に見えたので、心配して現場にいた大人たちに尋ねたら、大丈夫、ただの子供の喧嘩だよと。たしかに、子供の喧嘩です。でももし、彼らが正しい教育、特に人々と物事を共有することの重要性、協力の仕方、互いの違いの受け入れ方、お互いを尊重することを学べなかったら、将来さらなる紛争を引き起こすかもしれません。

〈注・MIYAVIは1990年代初期にミャンマーを逃れたロヒンギャ難民を収容しているクタパロンキャンプの一画にあるシーガル小学校にて若い難民と会うPhoto: © UNHCR/Caroline Gluck〉

Angelina:父親たちには会ったのですか? その人たちから伝わってきたものはどんなことでしたか?

MIYAVI:僕は、数日前にちょうど到着したばかりの家族に会いました。 3人の父親であるAbulさん(30)は、10万チャットを支払わなければならず、密航業者は、彼らが到着したとき所持していた全額すべてとバッグを奪っていった、と話しました。妻のHamidaさん(30)は、「私たちは生活と子どもの命を守るため、ここに来ることを決めた」と話しました。
それを想像することはほとんど不可能だけど、もしも僕らの身に起きたとしたら、僕は同じことをするだろう。僕は確実に、自分の家族を守るためなら何だってやると思う。

”僕は最初の瞬間にそのスケールに驚かされました“--- MIYAVI

Angelina:自分の家族がこんな状況下に置かれたらって、想像できる?

MIYAVI:いいえ。でも、する必要があります。難民と呼ばれる人々は、以前は私たちと同じだった。彼らは帰る家を持ち、誇りに思う職業を持ち、そして夢を持っていた。
平和とは、当然のごとく手に入れられるものではありません。僕らがこの危機を止めることができなければ、近い将来僕らにまで及ぶ可能性があります。だからこそ、これをグローバルな問題として扱うことが本当に重要だと僕は思っているんです。その地域のみではなく世界的なこと、これはこの星の誰もが対処し、気づく必要があること---もしできなければ、やがてそれは、僕たちを悩ます原因としてまた戻ってくるでしょう。

〈注・UNHCR親善大使MIYAVIはバングラデシュ、コックス・バザールのクタパロンにて、ミャンマーから逃れたロヒンギャ難民を訪れるPhoto: © UNHCR/Caroline Gluck〉

Angelina:私は11年前、初めてインドでロヒンギャ難民に会いました。ロヒンギャ難民たちは、世界がやっと自分たちの境地、全てを失っているということに気付くと感じているでしょうか。現地での話し合いはどうだったのでしょう? 多くの家族は自分たちが見捨てられているって感じているかしら?

MIYAVI:基本的に外部とつながる手段がないので、人々はコミュニティの外で何が起こっているのか分からないと思います。でも、はい、僕は彼らは世界から孤立していると感じていると確信しています。仕事も、投票も、合法的に居住地から出る手段さえもない、アイデンティティもない。彼らはかごの中の鳥のようなものです。

Angelina:あなたは以前にも他の地域(タイ、レバノン)を訪問してきました。そのとき経験したことと、今回バングラディッシュで気付いたこと、どんな風に比較できますか? ここは世界最大の難民キャンプですからね。人々が最も必要としているものは何でしょうか?

MIYAVI:僕は最初の瞬間にそのスケールに驚かされました。しかし同時に、正直、彼らは今UNHCRや他の機関、NGO団体によって、そしてバングラデシュ政府からも保護されていると感じました。それは僕が今回見た素晴らしいことの一つです。

MIYAVI's Tweet
皆さんがこの危機に直面していることがいかに難しく、そして誠実であるかを知り、素晴らしいことだと思いました。僕らを招いていただき、そしてキャンプ内の人々と会うように取り計らっていただき、ありがとうございます。それは衝撃的でしたが、同時に私は人々の強さと子供たちの笑顔を見れて嬉しかったです。深く尊敬しています。

Angelina:出会った人たちから受けたイメージが心に突き刺さったはずですね。一番深く心に残っている話は何でしたか?

MIYAVI:僕はバングラデシュに2度逃げた男性に会いました。彼は1992年にバングラデシュに来て、1995年にミャンマーに戻りました。そして20年後の今、彼はバングラデシュに戻っています。また他にも1970年代からバングラデシュに3回訪れた人などの話も聞きました。加えて、彼らはそもそも国籍を持っていない人々でした。
僕に打撃を与えたのは、家を燃やされ、目の前で家族を殺害されるなどのおぞましい経験を耐え抜き、完全に心にトラウマを持ったにもかかわらず、それでもなお、彼らはいまだ故郷に戻りたがっている、ということです。それは僕の心をひどく苦しめました。
彼らはここから自分の国を見ることすらできます。そこは手が届くほど近いのに、本当に本当に遠いんです。
〈注・MIYAVIはUNHCRトランジットセンターにある子供のふれあい広場で、若い難民のために曲をいくつか演奏する。このセンターは、ミャンマーを逃れ、メインの居住地に移動する前の、新しく到着した家族のための一時的な場所である。Photo: © UNHCR/Caroline Gluck〉

Angelina:あなたが出会った子供たちから受け取ったメッセージは何でした?

MIYAVI:希望です。彼らの目は死んでいない。生きています。そして、それは僕らが守るべきものです。彼らは僕らの未来をつくっていく者たちです。
僕らは彼らに正しい道を進むために、団結の思想としての環境や教育を行う責任があります。

Angelina:難民と出会う旅であなたの考えはどんな風に変化しましたか?

MIYAVI:さらなる決意と責任を感じます。この機会と使命をありがとうございます。物事を実現するために、全力を尽くすことを約束します。

[日本語訳] #MIYAVI x #UNHCR BANGLADESH 2018 INSTAGRAM POSTS

© PHOTOS UNHCR 2018

No comments:

Post a Comment